ホテル業

あまり公にはしておりませんでしたが、ホテルの経営に携わっておりました。

そう携わってから、丸4年が経ちました。

”帯広市内で売ってほしいホテルがある”そんな依頼があり、このホテルの買主を探すことが、今思えば、ホテル業界と深~くかかわるきっかけとなりました。

ホテルが不動産投資物件とみることはなかったのですが、ホテルを借り上げて運営してくれる会社の存在を知り、認識が変わりました。

ホテルは利用するものという固定観念が、不動産投資としてみると、実に、高利回りの投資対象に変わりました。ホテルを購入し、その不動産を運営会社に借り上げてもらい収入を得る。

ホテルの売買は、アパート1棟売りと同様、扱うことができる。。そんな認識のもと、このホテルを投資物件として、我々の取引のある方に買ってもらおうという考えになりました。

ちょっと、横道にそれますが。。。

ご存じのルートイン、東横イン、コンフォートホテル、スーパーホテルなどの全国展開しているホテルチェーン会社も、借上げ運営している会社で、ホテル建物自体の所有者は別の方になっているケースが多いことを知りました(直営で所有されているものも一部あるようですが、借上げして運営しているホテルも多いということでした)。

どうやったらあんなに沢山のホテルを所有できるんだろうか?と思ったこともありましたが、ホテルには投資物件として沢山の方が所有されているということで、謎が解けました。。。

そうそう、売却依頼を受けたホテル。より高く借り上げてくれる運営会社に目星がついたので、、投資物件として当社の取引のある賃貸オーナーに所有してもらいました。

運営会社の年間借上げ賃料は、毎月200万円。高利回りの不動産投資になりました。借入返済、固定資産税を払っても、毎月の手残りはかなりの額になります。

そんな机上の計算もスタートして4か月目で、狂い出しました。その運営会社の賃料の支払いが遅れだし、未払いが発生。そして、半年ごには、頓挫という事態になりました。

オーナーへは、我々から立替で送金しておりましたが、毎月200万円の立替も、あっという間に1,000万円近くのお金が会社から出ていきました。当時創業7年足らずの我々の会社に重い負担としてのしかかっておりました。。

”ヤバイ”

リスクに気づきます。リスクどころか、私の会社もとぶかもしれない。。。

時すでに遅し。。

”倒産”するかもしれない。。

まさかこんなことが起きるとは、想定外でした。

”はまったなぁ”

買って頂いたオーナーに迷惑を掛けることはできないなぁという気持ちと200万円の立替を何とかしなくてはならないという気持ちとで少々滅入っておりました。オーナーには、現状をお話しし、オーナーが毎月、持ち出しの出費がない最低限の補てんはしていくことを約束し、毎月の返済分と固定資産税分、合わせて130万円として、仕切り直しとなりました。このホテルの借り入れの返済が終わるまでの8年の約束。

”ホテルを回すしかない”と腹を決め、自分たちで運営することなりました。

やったことのないホテル運営。

お客様第一とか、世の中のためとか、そんな高貴な動機などまったくなく、ただ毎月130万円のお金のためだけの目的に始まりました。

幸い、破綻した運営会社で雇われていたホテルのフロントとベットメイクのスタッフは、そのまま残ってのリスタートとなりました。

そうはいっても、世の中そんなに甘くはありません。。

130万円の利益どころかさらに、毎月、200万円前後の持ち出しがでるという事態になりました。

12月、持ち出し。

1月、持ち出し。

2月、持ち出し。

”まじめにヤバい”

あぁ。。翌月越せるだろうか。。

立て替え分と、食い込み分で、追い込まれておりました。会社ってこんなふうに潰れていくのか。。。と諦めの境地で思いながら、ホテル経営に際して、次の策もなく、ストレス全開で時間だけが過ぎておりました。

そんなタイミングで、2月にフロント業務での使い込みが発覚。ダメなときは全てがダメなもんです。怒る気持ちにもなれず、解雇させるも、次のスタッフがなかなか求人してもこない。。

“窮すれば鈍する”

正常な判断。。できません。

そんな時、1本の電話がありました。

“社長、朴です”

そう、10か月前に私を訪ねてきれくれた人からです。話すと長くなるので、朴のことがわかる以前書いたブログリンクしときます。そんなつながりのある人です。そのブログに書かれているようにメールの連絡があった後、家族を連れて日本に移住を覚悟し、僕のところにあいさつに来られました。東京で韓国の銅管を流通させる仕事で独立されると自信に満ちた顔で再会となりました。10か月経ってどうなっているのかなぁと思っておりましたが、電話が来たので

“朴、銅管の仕事はうまくいっているのかい?”

“••••••••••”

うまくいっていない様子を察しました。

“朴、今、何の仕事して生き延びているんだい?”

“東京で運転手してる”

“そうか、食えてるんだったいいな”

“イケハラ、そうなんだけど••••”

家族には心配するので話していなかったようでしたが、知り合いの韓国人が経営するデリヘルの運転手をして、何とか生計を立てておりました。

そっちの運転手か。。。まぁ、そんな人のことを心配するほど、自分にも余裕はなかったのですが、私同様、厳しい状況でした。

“いつまでもこの仕事はしたくないなあ”という朴の嘆き。

人員不足で困っていた私。

渡りに船でしょうか。

”朴、一緒に働かないか”と私。

朴にはホテルの立て直しのこと、働くスタッフがいないということを話し、この事業の再生を手伝ってくれないかとお願いしてみました。

私は、自分本業の不動産に専念して、ホテルの経営を支えていく。朴はホテルの運営の再建していく。ホテルのことは、人事含め全て任せるということを約束し、仲間に加わりました。

きれいごとなどありません。

”全てはお金のために”

このホテル運営における我々の経営理念です。

朴は、粗削りにバッサバッサ、経費の削減行っていきました。スタッフの給料の減額、パート職員の方の労働時間短縮、取引業者への依頼する様々な単価見直し交渉、削れるところは削って、できる限り支出を抑える体制にしておりました。そうするしかなかったのが追い込みの入った我々の現状だったのかもしれません。

”全てはお金のために”

義理、人情など全くありません。

数か月後、毎月の持ち出しがなくなります。

V字回復。

かっこよく言うとこういうことになるのですが、強引に出ていく経費を最小限にした結果、そうなっただけでした。

漫画のような話ですが。。。そんなことがありました。

それから4年経ち、世の中の風向きも変わります。

現状のままでも、ホテルの経営がまわる状態の上に、いい風が吹き出します。

インバウンドで、訪日外国人の増加。我々のホテルにも外国人の利用が増え出します。団体の中国人の利用。海外から個人旅行の利用稼働率も年々上がりました。数年前の状況がうそのような状況となっております。

昨年、オーナーの事情などもありホテルを違う方に所有させ、その後自社での保有としました。

ホテル業界、全国的に活況です。帯広市内のビジネスホテルも、全てのホテルが高稼働しております。また、ホテルの売り買いも盛んです。帯広市内でも、この3年くらいの間に、少なくとも大きなホテル4つは売買されました。

そんな流れの中で、昨年、”ホテルを売ってほしい”。。そんな依頼がありました。

そのままでも、利益が上がる収益物件として回っていましたので、迷いましたが、本業の不動産業を強化しようと思い、ちょうど1年前、売却含め子会社にしているホテル運営会社の譲渡を検討しておりました(ちなみに、初期に食い込んだ運転資金の立替え、改装やテレビ、ウォシュレット、カーテンなどの入れ替え費用を差っ引くと、売却・譲渡により利益はありません。ただ会社が潰れることなくバトンをつなぐことが出来てホッとしております)。

それから1年。紆余曲折ありましたが、本日、子会社の譲渡契約を交わしました。このビジネスから離れる寂しさもありますが、私の役割もここまででしょうか。

朴との共同事業も、引き渡しまでまだ少しありますが終了となります。

朴も、新会社の社員となり、それぞれの門出となります。

掲げてきた2人の経営理念。『すべてはお金のために』も、残すところあとわずかで消滅となります。。

この薄っぺらい経営理念のもと頑張ってきましたが、皮肉にも、僕たちに残ったものは、お金ではなく、苦境を乗り越えたちっぽけな自信と、その中で経験させてもらった数々の思い出だったでしょうか。

私が携わった間、ホテルを支えて頂いた沢山のスタッフの皆様にも感謝しております。

また、お金を使い込んで解雇したスタッフ。家賃を踏み倒して行ったホテル運営会社。想定外の出来事に、我慢強さを教えられました。食い込んだ分は、未熟な我々には必要な授業料だったと思い、次なる山を目指します。

3月31日。

本日、ホテル経営からの卒業です。

年度末

年度末。送別会など活況でしょうか。

新年度の移動、賃貸お部屋探しも、ピークを越した感じがしております。

社内では、契約をされた方の入居の立ち合い、転勤される方の退去立ち合いがメインとなってきました。。朝早くから遅くまで業務を遂行してくれているスタッフに頭が上がりません。

ミスがなくて当たり前の業務を、ミスなく遂行する。。。契約書類の確認、入居される部屋の事前確認、色々な時間の約束確認など、確認業務が続きます。

そんな多忙なシーズンもあと、数日というところでしょうか。

平常月よりも多忙なスタッフに、交通事故だけは気を付けてほしいなぁと、願っております。

新年度。迎える4月は、3月休みを返上した分、十分な休日をとって、心機一転業務にあたってほしいと思っております。

2日目。ハプニングが。。。

  • 2日目、朝7時過ぎ。今日で終わらせたいなぁなどと思いながら、昨日よりも朝早くホテルを出ました。

同行しているスタッフが開口一番”社長、食中毒になりませんでしたか?”

そう、スタッフが昨夜食中毒で大変な思いで夜を明かしたという話を聞き、まだ本調子でないと申し出がりました。

私も昨夜多少の腹痛がありましたが、朝には治っておりました。

そんなにきつそうな感じでなかったので”とりあえず松前に向おう。。途中でドラッグストア開店する時間に薬を買おうか”と返事をして、2日目スタートとなりました。

食中毒の話ですが、2人とも原因かわかっておりました。

昨日の昼食。

多分、そうだろうなぁと確信しております。。DSC_0695

昨日の昼食、壁に貼ってあるメニューに”魚定食”とあるんですが、そいつを2人とも注文しました。

魚はホッケかサメのフライ、いずれかでしたが、私はホッケ、彼はサメを頼みました。

老婆1人でやっている食堂でした。とても親切な方でしたが、出てきたフライに問題がありました。

ホッケのフライ。口に入れてみて、思わずその臭さに喉を通すことができない品物でした。スタッフに”これ食べれるか?”と私。

なんと、彼は口に入れよく噛んで飲み込んでおりました。飲み込んでから”社長、これ腐ってますね”とコメント。

そうだろうと思いながら、”それにしても、よく噛んで喉通せたな”と、彼の勇気ある行動に感心しておりました。

多分これが食中毒の原因だと断定しておりました。それと、彼が注文したサメのフライも怪しい感じがしました。どっちも古かったなぁ。。。

そんな話をしながら松前を目指しましたが、彼の様態が悪くなっていきました。具合の悪い状態が半端なくなってしまい、福島町と通った時に内科の病院があったので、そこに飛び込むことにしました。

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”急性食中毒”でした。点滴を受け、これ以上業務は遂行できないという判断のもと、函館に引き返すことにしました。そして、体あっての仕事なのでしっかり治してから出直した方がいいなぁと判断し、そのまま帯広に帰ろうかということになりました。

彼にホッケのフライを食べさせた責任を感じつつ、1週間後、体調万全にしてリベンジしに来たいと思っております。

横道にそれますが、写真は今回、引き返した福島町にある”横綱千代の山、千代の富士記念館”です。中には入る余裕はありませんでしたが、次回体調万全のときに入ってみようかなぁと思っております。

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訪問初日 in 松前町

一昨日から、当社のスタッフと2人で函館にきております。以前のブログで紹介した40名の地権者が共有されている松前町の土地。その土地の地上げが目的になります。共有名義になっている全員の売却意思を確認。。。行方不明の方がいなけらばいいなぁと願いながらのスタートとなりました。

マイナスなことは考えずに、ひたすら訪問するだけです。

今朝7時半に函館のビジネスホテルを出て松前町に向いました。9時半くらいに現地に到着し、その土地を確認したのち、1人目からスタートしました。

1人目。いきなり、留守でした。。そうか。。こういうパターンもあるのかと思いつつ、2人目、3人目と次々と訪問していきました。

休みなしで夕方4時まで歩きました。結果、本日は半分の20人訪問しました。留守の方が4人。お会いできたのは16人。16人のうちちょうど半分の8人が他界されていておりました。他界されていた方については、身内の方とお話しし、相続対象の方を確認してきました。その場合、相続人すべての方の同意が必要になるため、土地の売却に際して、同意を必要とされる方が増えることになります。

一番強烈だったのは、土地の所有者が他界。その奥様も他界。その所有者のご子息の方が9名。さらにこの9名のうち6名が他界。この場合、生存されている3名と、他界されている6名それぞれの相続権者(それぞれの奥様とご子息)全ての同意が必要になります。

想定はしておりましたが、思う以上に他界されている方多く、その場合、相続人が複数になってくるため、最終的に100名以上の方の同意が必要になってくることが予想されます

今回は日曜日までの滞在の予定です。まずは、ご本人もしくは身内の方全員にお会いし、できればなぁと思っております。

僕たちの売却依頼に対して、みんさん”是非売ってしまいたい。全員の同意を取りまとめてほしい”という声がほとんどでした。

そんな地権者の皆さんの言葉を聞きながら、期待に応えたいと思っております。

 

帯広市東3条南6丁目の土地

昨年、購入した帯広市東3条南6丁目の土地約1000坪。少し大きな買い物となりました。

手形を切っての購入でしたので、期日までに売却しないといけないプレッシャーはありましたが、売却のめどがつき進みそうです。。売れ残った場合、自社で建売なども想定の中でありましたが、そのようにならず一安心でしょうか。

この土地の境界線上にコンクリートの塀があり、買主さん側からこの塀の撤去を購入条件として要望があったため、我々側にて撤去作業しておりました。想定していたよりも、深いところまで塀の基礎が入っておりましたが、本日ほぼ取り終えました。隣地の建物が越境していたり、隣地の方からの注文など細々したことがありましたが、丁寧に折衝してくれた田部店長ご苦労様でした。

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この土地については、いくつかに割って販売しました。一般住宅用地になります。帯広の中心街から近い立地です。住宅を建てたい方がおりましたら、これから宅地販売となるようですので、購入された住宅メーカーさんにお教えします。お問い合わせください。販売前ですので、お好きな場所をご検討いただけると思います。

 

 

自問自答

例年、春分の日前後はお部屋探しのピークになります。

営業サイドでは、去年と比較しての来店数や、売り上げ、空室状況などの変化などをみながら、今年の繁忙期の良し悪しを推し測っております。

今年の繁忙期。。。

アパマンショップ1店舗増店しての2店舗体制で臨んでおります。人員も補強しながらの繁忙期です。経費が増した分、売り上げ上げていきたいところですが、現実は甘くはありません。。

思い描く理想と現実のギャップを感じつつ、理想に向かって突き進めればと思っておりますす。

昨年の2倍の売り上げ目標。思い描く理想に問題があるでしょうか。現実のギャップが大きすぎるため自問自答しております。

 

つづき の話です。。

40人が共有されている土地。

そもそも、なぜそのようなことになったのか、所有されている方のひとりからお話を聞くことができました。

お話を聞かせてくれたのは、80歳くらいの老婆の方でした。

むかしむかし。。。という感じで話が始まりました。

この土地。その方が若かった頃、国が払い下げた土地(雑木林)だったとのことでした。当時、米は貴重?だったこともあり、この部落の住民が、みんなでお金を出し合って、米を作るために土地を購入されたそうです。だから40人の共有名義になっておりました。

そうだったのか。。。

当時、この漁師町の住民が、漁の合間にみんなでこの土地の木を伐採し、土地を整地し、開墾された話をされておりました。

大変でしたよ。。。と老婆の話は続きました。

その田んぼ、部落のみんなで米を収穫し、生計の一部に充てていたということでした。

それから半世紀。時代は変わります。片手間の米作りも生計を補うことにはならなくなり、いつしか、放置された荒地に変わり果ておりました。

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私たちがこの土地に、出会ったのは昨年の10月。そんな部落の方々の思い出がある土地。

この地に立ち、先人の方々の苦労を感じつつ、形を変えてまた日の目を浴びる土地に蘇らせるのは、私の使命でしょうか。。。

不動産という仕事冥利に尽きます。。

3分の1の生存者と、すでに亡くなっている3分の2の方たちの相続人の方たちとの接触、来週から始まりそうです。根気強く交渉する気持ちでおります。

ここで一句。

春風や闘志抱きて丘に立つ。

すいません。高浜虚子の句、パクリってしまいました。

田中社長、しばらく函館張り付きになると思いますが、ご家族のみなさんご協力の程よろしくお願いします。

40人を探せ

松前町。何度となく来たせいもあって、土地勘ついてきました。地元の土地の相場なんかも大体把握しました。

さて、松前町にもう一つ。狙いを定めている土地があります。まだ、風力発電業者と競合していない土地です。

崖っぷちの風が吹き付ける風力発電に適した土地です。

”この土地を購入したい”そんな強い思いを抱きながら、本日の営業開始です。

実は、ここの土地については、同業他社が競業しない事情がありました。

予想がつくでしょうか?

昔ここで事件があったとか、地権者が頑固な方だとか。。。

・・・・・・

ここの土地、地権者が40名で共有されておりました。。

当然の如く、ここを売ってもらうためには、40名すべての方から同意を得られなければ購入することができません。40名の方が皆さんご健在であればいいのですが、亡くなっている方もいる場合、相続される方に引き継がれていくため、相当数の方の合意を頂かなければならないという事情が出てくる土地になります。

ウォーリーを探せ!

間違いました

40名の地権者を探せ!

普通であれば、面倒だから辞めようということになるのですが、今回ばかりはそのようなことを言ってもいられない感じでしょうか。。

風が強い5万坪の土地。

今回、お会いできたのは3名の地権者。その方たちに40人で共有されている理由や、その他もろもろのことをヒアリングして、ひとまず帯広に戻ってきました。

話が長くなるので、次回のブログにこの続きます。写真は地権者の方々が住まわれている漁師街です。

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つづく

恵山岬。。初訪問

地元では、風力発電用地の争奪戦に様相になってきました。数社、我々と同様に地主さん回りをしている業者もおります。

だいたい、ここはいいなぁという土地の地主さんのところには、”売ってくれないか”とた業者からも声を掛けられており、当然の如く、土地の値段が上がっていきます。

この風力発電の用地も、今回の売電の話がなければ、一生売れないんじゃないかと思うような崖っぷちで風の強い土地が、一変して、値段がついていくのは、ドラステックな感じがします。

家宝は寝て待て。

そうはそうなんですが、地主さんが永遠の眠りについていられる方も多く、登記上は相続せずにそのままの状態になっているところが大半でした。

登記上の所有者のところに行くと、廃屋になっていたり、空家になっていたり、違う人が住んでいたりと、そんな方が多いのは想定を超えておりました。

これが過疎地の実情でしょうか。

今日は、朝一便6時50分発、羽田発函館行の搭乗からスタートしました。函館空港でレンタカーをゲットし、本日向かうのは恵山岬のそばにある用地と、松前町にある用地です。

恵山。。えさんと呼びます。

皆さん行かれたことのある方はいるでしょうか?

道産子の私も、恵山岬は知りませんでした。

ここです↓

無題

ここに売りたい土地があるという地元の不動産業者さんからの紹介があり行って参りました。函館から車で30分。ここは来たことなかったなぁ。初訪問です。こんなところです。

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この山が恵山です。途中、登山口の看板があったので、上ることができる山のようでした。写真におさめませんでしたが、海が見下ろせる景勝地でした。

現地にて、函館の不動産会社の方と土地の確認をして、ここを購入することにしました。今年度の申請に間に合えばいいなぁと思っております。

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東京都世田谷区はホロ苦かった。。

風力発電用地、広く確保したく、所有者のところに出向いて交渉しております。

風力発電が活況になるだろうという予測の元、そうなると、それ用の土地に需要がでんだろうなぁ。。。ということで、ちょっと早めに土地の取得に動いています。

昨日は、所有者が東京の方、お二方を訪ねて、出張しておりました。

お二方とも東京都世田谷区に住んでおります。

1件目は、東京学芸大学のそばに住まわれている方になります。静かな住宅街。初めて来ました。東京にもこんなに静かなところがあるんだなぁと思いながら、降りた駅から歩くこと15分。登記簿に出ていた所有者の住所につきました。

更地になっておりました↓

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そうか。。そういうこともあるか。。想定外でした。。ここにはアパートがあったはずでしたが、壊したばかりでした。

ガク。。

まぁ、そんなこともあるさと諦め、次の所有者の所に向かいました。

そこから歩くには、少し距離があるため、タクシーを拾い現地に向かいました。国士舘大学の近くで、ここも閑静な購入住宅街?でした。

こちらの方は、とても重みのある門構えでした。

”ピンポーン♪”

”はい”

年配の女性の声がインターフォン越しに聞こえてきました。。

おぉ、出てくれた。。ラッキー。

”北海道にお持ちの不動産のことでお伺いしました”

”どちらの紹介ですか?”

”登記簿を見てきました”

”紹介のない方には会わないようにしているんです”

返す言葉もなく、あまりしつこくすることを得意としない私は、”わかりました”と答えるのが精一杯でした。

同行したスタッフにいいところを見せたかったのですが、情けない限りです。。

これまた、ガク。。

仕方ないので、名刺とメモ書きを残して、本日の営業終了となりました。話くらいきいてほしかったなぁとこちらの都合で考えてしまいましたが、これも仕方ありません。

これにて、東京の業務は終了しました。

営業開拓の仕事は、得てしてうまくいかないことが多いものです。この2つの出来事を、お酒のあてに、居酒屋にて同行したスタッフと緊急ミーティングとなりました。

時計を見ると午後4時過ぎでした。

微妙な時間でしたが、飲まなきゃやってられません。。

思い描くようになっていくには、まだまだ想定外のことに遭遇しながらでしょうか。

『断れた経験の数が私の勲章の数』という言葉を良薬に、気持ちを切り替え次なる地主さん、訪問です。

明日は、松前町の地元の地主さんたちの予定です。