香港

香港。昔、小さな漁村であったこの地に、香木が集積されたところから、香港と命名されたと伝えられています。

今や所狭しと高層ビルが立ち並ぶ、アジア有数の経済は発展を遂げた街です。この狭い土地にぎっしり建物が埋め尽くされているのが、夜景をさらにきれいなものしています。

今回は、香港の夜景を眺める展望スポットへの列車(山岳列車のような車両ですが。。。)、整備中ということで、残念ながら上がることができず、断念しました。

まぁ次回また来るきっかけになったと前向きに捉えることにします。見えているとこんな感じだったんだろうと思います、ネットでで炊いたものをお借りします笑。

香港「100万ドルの夜景」を堪能するなら、定番人気夜景スポット ...

日中、オープンデッキの2階建てバスでビルの間を潜り抜けながら市内観光しておりました。

香港市内は、ビルの品評会て言っていいほど、斬新な外観なビル群が立ち並んでおります。こんな感じです。見ていて飽きません。。。

井の中の蛙ということわざがありますが、外に出て、見て感じて、今まで思っていあことが違うんだなぁと思うことも多くあります。

思った以上の香港の街の景観でした。

つづく。

 

そして香港。。その歴史。。

上海から香港に入りました。飛行機で3時間弱。結構、離れているんだなぁと改めて中国大陸の広さを感じました。

ちょっと、今回、ちょろちょろしたエリアを地図で確認。

上海は、だいたい鹿児島くらい、台湾が沖縄県宮古島、香港は、ずっと南に位置していて台湾の南端と同じ緯度となっています。

上海から香港て同じようにあるイメージがありましたが、ご覧の通りかなりの距離があります。だいたい大阪から沖縄までの距離と同じくらいありました。

その香港。先の民主化デモの騒動も記憶に新しいところです(調べ返してみると2020年1月、コロナが始まるくらいの時でしたが。。香港の4分の1の人たちがデモに参加し、デモで10名以上が亡くなり、8,000人以上の香港人が逮捕されたと記されていましたデモ)。

4年の月日が経ち、何もなかったように沈静化されていました。香港は、過去何度か行ったことがあります。何も変わっていない感じでした。

ちょっと気になっていたんですが、そもそも、なぜイギリス領が中国領になってしまったのか気になってググってみました。時代は遡り、時は1840年(今から180年前、日本が今の中国である清王朝と戦った日清戦争の50年前)。イギリスと清王朝の戦争(アヘン戦争と呼ばれていますが)、その戦いに起因しています。

ジャジャン。。

当時、イギリスは大量のアヘン(麻薬)を輸出。それをよくしなかった清王朝は、イギリスに、そんなもんうちの国で売らないでくれと申し出。そりゃそうですね。自国民は薬物中毒になって、犯罪なども多発。国が狂っていく様を良しとしないのは当然なことです。。。それで、清王朝もイギリスにいろいろな麻薬制限をかけて規制。アヘン貿易でドル箱だった利権に制限をかけられるのは面白くないイギリス。悪いよねイギリス。それをいいがかりに清と戦争が勃発。この戦争にイギリスが勝ってしまうのだから、正義は勝つというようなきれいごとは、歴史にはないということを感じますが。。。

で、負けた清に対して、イギリスは、沢山の賠償金とアヘンを含め貿易の規制をなくし、香港も分捕ったというのが、ザックリとした過去に起こった事実です。

で、イギリスは、その後、奪った香港の周辺の中国領地を、1898年に100年間、借地として借りる契約をしています。その部分の返還が1997年に来るので、返還15年前に、借りた部分だけを返還するという確認の話し合いを、時のリーダーイギリスサッチャー首相、中国鄧小平と間で行います。

この話し合いで、中国、鄧小平がごねます。貸した分だけじゃなく、奪った香港も一緒に戻せと。。

当時、香港は飲み水不足が深刻で、1960年に中国の本土からの飲み水のパイプラインを引き、その水を香港市民が使っていました。中国は、香港もよこさないなら、水を止めるのと、武力衝突も辞さないとイギリスに脅しをかけます。

結局、イギリスが折れて、1997年に借りている部分と香港をくっつけて戻しましょうということに決着したという過去があります。ただし、返還後の50年間は、社会主義にせず、従来通りの香港の民主主義の社会を維持していく(1国2経度)ことを前提に、中国の要求に応じました。

2020年、突如、この約束が破棄されます。時のリーター習近平。香港市民からしてみると、えっ、話が違うじゃん。中国さん。。ってことなんだろうと思います。香港の人たちからすると、俺たちの自由な言動がなくなるのか。。そんなの嫌だーという気持ちになるのは、当然でしょうか。

2047年まで社会主義にならないって言ってじゃん。で、香港市民と中国政府との衝突が起きます。しかし、圧倒的な武力の差で鎮圧。

悲しいかなぁ、強いものが勝つ。

お隣の国、中国のリーダー習近平。まぁ、まともじゃないリーダーなんでしょう。。我が日本国も、対等にお付き合いしていくには、過去の歴史が物語っているように、それなりの備えがなくてはならないことを、中国国旗が掲げられている現在の香港を歩きながら感じるところです。

そんな歴史をたどってきた香港。次回は、いくつか行ったところレポートします。

つづく。