年度末。。。

本日、3月31日。賃貸の繁忙期、明後日で一区切りです。帯広市内と音更町にアパマンショップ3店舗運営しておりますが、賃貸の契約件数をみると、例年並みの引っ越しがあったんだなぁと振り返っております。

事故なくトラブルなく、繁忙期の営業をやってくれたスタッフ、ご苦労様でした。アパマンショップの3店舗、年明けから本日までPM7時までの営業でしたが、4月~12月は、PM6時までの営業となります。

さてさて明日から年度も変わります。令和5年度は、沢山の幸運と出会いに恵まれて、いい年度と総括しております。

で、続く令和6年度。

今年度、建築される新築アパートの計画、いくつか進めております。どのような間取りにするか検討しております。まだ、確認申請前で募集開始できませんが、8月末に、3棟、アパートが完成予定です。ちなみに、すでに、購入されるオーナーは決まっております。。。

少し紹介すると、1LDK 家賃6万円。リビングキッチンが14.75帖、寝室6帖、ウォークインクローゼット付き。こんな感じの物件を西18条エリアにできる予定です。場所はこちらです。

もう一つは2LDK。ハウスドゥ帯広(西8南14)の近くになります。昨日、確認申請が上がりましたので、近々、募集開始となります。まだ、家賃の設定ができておりません。7万円~7.5万円くらいになると思います。場所はこちらです。

そんな計画も進めながら、雪解けに合わせて、経済活動も活況になっていけばいいなぁと願いつつ、年度末を迎えております。

柏林台売地~どこより早い速報ッス

先のブログで紹介していた柏林台の土地。分筆した図面ができてきたのでアナウンスします。

一区画約60坪で分譲します。まずは、建築条件付(建築業者が決まっています)での販売です。角地が1,100万円、中地が1,000万円での販売予定です。全部南付き道路になります。

売り資料でき次第アップします。興味のある方は、直接、担当星久保(0155-67-6005)まで、お電話ください。ちなみに、私の友人が、いずれかの角地を買うので、残り5区画です笑。

 

人気の柏林台エリア、分譲開始!!

今朝の帯広。みぞれとなりました。雪ではありません。日中は雨の予報。昨年ぶりの雨です。

さてさて、売却不動産のお知らせです。

帯広市柏林台東4丁目と帯広市柏林台南2丁目。

先月、帯広市からの払下げで購入した土地、計3か所。どうしようか検討した結果、2ヶ所(東側の2区画)は建売住宅として売り出し、西側の1ケ所は4室のアパートを2棟建築することにしました。

住宅地は60坪ずつ分筆し、計6か所、その上に住宅をのせて売却を計画します。アパートも売却を計画しております。

アパートは、表面利回り8.2%になります。新築アパート、まぁまぁの利回りでしょうか。立地がいいので、魅力的?に思いますが、不動産投資家のみなさん、どうでしょうか。。

中古住宅は、2,850万円~2,980万円の価格での販売予定です。確認申請が上がり、図面など上がってきましたら、アナウンスいたします。

帯広の住宅地高騰!?

昨日の地元紙(十勝毎日新聞)に、帯広エリアの地価の上昇が報じられていました。読んでみました、記事の通りだと思います。

帯広市内に引きずられる様に、隣接の3町の地価も上がっています。我々も日ごろの業務の中で、土地が高くなっているのは感じております。

例えば、芽室町の土地。ついこの前までは、坪5万円くらいの認識ですが、最近は坪8万円~10万円の値段が付くところも出ている状態になっています。

予想屋ではないので、この先上がり続けるのか下がるのかわかりませんが、どうなっていくのでしょうか。

ただ、北海道内の人口10万人以上の市で、住宅地、商業地ともに上昇したのは、札幌、旭川、江別、帯広の4市だけなので、景気が良くて全都市上がっている訳ではないようです(人口減の旭川が上がっているのは意外でしたが。。)。

街の魅力という意味は、土地が上がっているのは、高くても欲しい人がいるという街ということであり、いい街のお墨付き?っていうとらえ方もできるのではと思います。

どこまで、街の魅力が継続していくのでしょうか。。。

帯広の住宅地が1坪30万円になる日も、もしかすると来るのかもしれません笑。

 

新築2LDK in 帯広

帯広市内、雪解けが進んできました。道路際、住宅の軒下などに残る雪も、日に日に小さくなってきました。

一句。

春近し 帯広の雪解けの 匂いかな

字余りか。。。。笑

さてさて、今春、建築企画して、建築した新築アパート2棟目。本日引き渡しとなります。12部屋の2LDK。現在9部屋の申し込みで、残るところ3部屋となりました。何とか、3月中に満室にしたく、アパマンスタッフと気持ちを一つにしております。

もう一句。

新築物件 春の光差す あと3つ

↓↓こちらのアパートになります。

所在地は、帯広市西5条北4丁目。 物件詳細はこちらから

 

 

 

世界一。。

表題の『世界一』。私が目指すのは世界一というキザな話ではなく、今、地球上にある高さが世界一という話です。。。

高さが8,848メートル。この数字、エベレストの標高になります。そう、『世界一』高い山の高さ。

先日、仕事でネパールに行く用事があり、行ったついでに、エベレストを空から見て参りました。3万円くらいの費用負担でしたが、エベレストを周遊する飛行サービスがあり、このエベレストの姿をスマホカメラで収めてきました。

エベレストは、ヒマラヤ山脈の中にある一番高い頂です。エベレストという言い方の他にこの頂をチョモランマという言い方もあります。チョモランマは、中国チベット側からみたこの頂の呼び方です。

ヒマラヤ山脈。こんな位置関係です。ネパールと中国の国境になっております。この山脈の南側がネパール、北側が中国となっています。

What'sヒマラヤ山脈?世界最高峰エベレストだけじゃない!8000m ...

ちなみに、こんな飛行機ですが。。。朝6時15分、日の出の時間に出発でした。

ヒマラヤ山脈ですが、標高8,000メートルを超える頂が連なります。こんな感じです↓↓。

napal-map.jpg

世界一の山の頂をお裾分けします。

ヒマラヤ山脈です。山の上にもうひと山、連なっていました。

 

エベレストが次の写真です(左側の頂です)。

ちょっとググってみると、このエベレストを目指して、累計8000人くらいの方が登頂しております。悲しいかなそのうちの300人くらいの方が、今見えている写真の中で命を落としています。

世界一高い頂に、命を懸けても、立ってみたい。。。登山家、冒険家の心をくすぐる魅力があるんだろうと思います。

そうそう、この度のネパール出張の目的は、エベレストを見るということではなく、この国から日本に、仕事で長期滞在される方々が、出国前にネパール側の不動産エージェントを通じて、日本での住まいをあらかじめ目星をつけて(決めて)、安心して日本に入国する仕組みを作ることでした。

過去、何度かネパールにきております(多分5回くらい。。。)。帯広にもネパールカレーのお店を2店舗出店されているネパール人の社長さんに毎度アテンドしてもらっております。今回驚いたのは、その社長さん、昨年ネパールで新しい政党を作り、国民の支持を受けて、彼が作ったその党が、なななんと、3党の連立政権ですが、ネパールの政権与党の一翼を担ってしまったということでした。

嘘のような本当の話ですが。そんな絡みもあり、政府主体でそのような仕組みを作れないか、地元の不動産業者、人材派遣業者、ネパールの担当大臣と我々との間で、意見交換しておりました。

ネパール政府の協力を得ながら、実証実験という形で、ネパールで日本の賃貸住宅を、出国前に簡単な手続きで入居できる形を作ってみたいと思っております。

↓の写真、関係者との食事会の様子です。。地元のネパールの不動産業者さん、日本にネパール人を送り込んでいる人材派遣の会社の方たち、日本語教育をされている現地の日本人の先生、外資系のホテルを経営されているホテルオーナーさん、不動産投資オーナーの方々などなど、人脈を持つことができました。次回は、帯広でお迎えして、関わり合いを深めていくことになりました。お互いに良きビジネスパートナーでありたいなぁと絆が深っていきますように。。。

つくづく言語力があればなぁと毎度、海外に来て思うことです。。今回は、ポケトークという翻訳アプリを使って、コミュニケーションを取りました。結構、使えます。。。アプリ版『ポケトーク』は普及するのか ハードウェアとの違い ...

 

新築物件の引き渡し in 帯広

アパマン賃貸、繁忙期も終盤を迎えております。

今春、2棟、当社の企画で新築した賃貸物件があります。売物として作ったのもですが。。。

帯広市西10条9丁目の新築物件。1Fがテナント・2階が居住用の物件になります。借りてくれる方がいるのだろうか心配しておりましたが、無事満室になり、引き渡しになっております。

我々の役割も果たすことができ、何よりです。アスファルト工事が、まだ地中が凍っているということで、残しておりますが。。。

1Fに札幌で3店舗展開されている整体院(KINMAX整体院)が新規オープンします。

「KINMAQ整体院 札幌琴似院」医師や大学教授が推薦ロゴ

そしてもう1店舗、まつ毛エクスの店舗も移転オープンします。白樺通りに面した立地になります。うまく軌道に乗せていただき、長く店舗を使っていただければと思っております。

雪解けに合わせて、帯広市内、新しい物件の登場とに合わせて新しい店舗もお目見えします。

台湾

香港から台湾まで飛行機で約2時間くらい。

台湾では、台湾故宮博物館、夜市と呼ばれる屋台街、歴史のある古いお寺を参拝など、テッパンの観光地に行き、台湾という国を感じてきました。

で、今回の長い旅が終わりました。

そうそう、中国では、地下鉄に乗る際に、持ち物検査、身分証明書の提示(外国人の場合はパスポートの提示)、公共施設の至る所に無数のカメラが設置されており、政府による国民の監視が徹底されておりました。

いいことなのか悪いことなのかわかりませんが、10億人を超える人口を統治すするために必要なこと?なんでしょうか。

日本に生まれてきてよかったなぁと思うことが多い旅でした。

台湾の写真いくつかアップしときます。

 

香港

香港。昔、小さな漁村であったこの地に、香木が集積されたところから、香港と命名されたと伝えられています。

今や所狭しと高層ビルが立ち並ぶ、アジア有数の経済は発展を遂げた街です。この狭い土地にぎっしり建物が埋め尽くされているのが、夜景をさらにきれいなものしています。

今回は、香港の夜景を眺める展望スポットへの列車(山岳列車のような車両ですが。。。)、整備中ということで、残念ながら上がることができず、断念しました。

まぁ次回また来るきっかけになったと前向きに捉えることにします。見えているとこんな感じだったんだろうと思います、ネットでで炊いたものをお借りします笑。

香港「100万ドルの夜景」を堪能するなら、定番人気夜景スポット ...

日中、オープンデッキの2階建てバスでビルの間を潜り抜けながら市内観光しておりました。

香港市内は、ビルの品評会て言っていいほど、斬新な外観なビル群が立ち並んでおります。こんな感じです。見ていて飽きません。。。

井の中の蛙ということわざがありますが、外に出て、見て感じて、今まで思っていあことが違うんだなぁと思うことも多くあります。

思った以上の香港の街の景観でした。

つづく。

 

そして香港。。その歴史。。

上海から香港に入りました。飛行機で3時間弱。結構、離れているんだなぁと改めて中国大陸の広さを感じました。

ちょっと、今回、ちょろちょろしたエリアを地図で確認。

上海は、だいたい鹿児島くらい、台湾が沖縄県宮古島、香港は、ずっと南に位置していて台湾の南端と同じ緯度となっています。

上海から香港て同じようにあるイメージがありましたが、ご覧の通りかなりの距離があります。だいたい大阪から沖縄までの距離と同じくらいありました。

その香港。先の民主化デモの騒動も記憶に新しいところです(調べ返してみると2020年1月、コロナが始まるくらいの時でしたが。。香港の4分の1の人たちがデモに参加し、デモで10名以上が亡くなり、8,000人以上の香港人が逮捕されたと記されていましたデモ)。

4年の月日が経ち、何もなかったように沈静化されていました。香港は、過去何度か行ったことがあります。何も変わっていない感じでした。

ちょっと気になっていたんですが、そもそも、なぜイギリス領が中国領になってしまったのか気になってググってみました。時代は遡り、時は1840年(今から180年前、日本が今の中国である清王朝と戦った日清戦争の50年前)。イギリスと清王朝の戦争(アヘン戦争と呼ばれていますが)、その戦いに起因しています。

ジャジャン。。

当時、イギリスは大量のアヘン(麻薬)を輸出。それをよくしなかった清王朝は、イギリスに、そんなもんうちの国で売らないでくれと申し出。そりゃそうですね。自国民は薬物中毒になって、犯罪なども多発。国が狂っていく様を良しとしないのは当然なことです。。。それで、清王朝もイギリスにいろいろな麻薬制限をかけて規制。アヘン貿易でドル箱だった利権に制限をかけられるのは面白くないイギリス。悪いよねイギリス。それをいいがかりに清と戦争が勃発。この戦争にイギリスが勝ってしまうのだから、正義は勝つというようなきれいごとは、歴史にはないということを感じますが。。。

で、負けた清に対して、イギリスは、沢山の賠償金とアヘンを含め貿易の規制をなくし、香港も分捕ったというのが、ザックリとした過去に起こった事実です。

で、イギリスは、その後、奪った香港の周辺の中国領地を、1898年に100年間、借地として借りる契約をしています。その部分の返還が1997年に来るので、返還15年前に、借りた部分だけを返還するという確認の話し合いを、時のリーダーイギリスサッチャー首相、中国鄧小平と間で行います。

この話し合いで、中国、鄧小平がごねます。貸した分だけじゃなく、奪った香港も一緒に戻せと。。

当時、香港は飲み水不足が深刻で、1960年に中国の本土からの飲み水のパイプラインを引き、その水を香港市民が使っていました。中国は、香港もよこさないなら、水を止めるのと、武力衝突も辞さないとイギリスに脅しをかけます。

結局、イギリスが折れて、1997年に借りている部分と香港をくっつけて戻しましょうということに決着したという過去があります。ただし、返還後の50年間は、社会主義にせず、従来通りの香港の民主主義の社会を維持していく(1国2経度)ことを前提に、中国の要求に応じました。

2020年、突如、この約束が破棄されます。時のリーター習近平。香港市民からしてみると、えっ、話が違うじゃん。中国さん。。ってことなんだろうと思います。香港の人たちからすると、俺たちの自由な言動がなくなるのか。。そんなの嫌だーという気持ちになるのは、当然でしょうか。

2047年まで社会主義にならないって言ってじゃん。で、香港市民と中国政府との衝突が起きます。しかし、圧倒的な武力の差で鎮圧。

悲しいかなぁ、強いものが勝つ。

お隣の国、中国のリーダー習近平。まぁ、まともじゃないリーダーなんでしょう。。我が日本国も、対等にお付き合いしていくには、過去の歴史が物語っているように、それなりの備えがなくてはならないことを、中国国旗が掲げられている現在の香港を歩きながら感じるところです。

そんな歴史をたどってきた香港。次回は、いくつか行ったところレポートします。

つづく。