5月終わります。。。

5月も今日まです。先日ゴールデンウィークだったなぁという感じでありましたが、早いもんです。

短い帯広の夏。いよいよでしょうか。

四季折々の楽しみあろうかと思いますが、夏の楽しみあるでしょうか。仕事は置いといて。。。

私?

スポーツで汗を流すことが楽しみの一つでしょうか。走ってよし。自転車乗ってよし。ゴルフ場の芝生の上を歩いてよし。。

明日から6月。

なるべく外に出ていい汗をかきたいと思っております。

横浜から

先日、横浜から、同じアパマンョップの加盟店オーナーで、2店舗運営されている社長さんが帯広に来ておりました。

帯広の投資物件を購入することが目的で来ておりました。首都圏に比べると、割安感がある北海道エリアの不動産投資物件。1棟所有することになりました。

地元の方ではないため、地元の金融機関さんからの融資については、難しかったため、このたびの購入については現金での決済となりました(現金で買えるんだから、さすが首都圏で不動産業をされている社長さんでしょうか。。ちなみに、私よりも若い方です)。

ただ、2棟目以降の継続しての購入も検討されているため、次回からは地元金融機関さんからの融資を受けるべく、地元に子会社を作って、帯広で経済活動をすることになりました。

賃貸物件を所有して貸す会社。これからスタートです。夏の時期は、ゴルフクラブもって涼しい北海道に来ますといって、横浜に戻られました。

社業を通じて帯広と関わり合いを持つ方が増えていく。。。地域貢献のひとつの形でしょうか。ガンバリマス。。

腰痛との戦い終わりました

腰痛を患って5年。診断してもらった結果は、軽度な椎間板ヘルニアでした。腰痛を経験した人はわかると思いますが、この激痛、生活に支障をきたして、まともに生活できなくなります。仕事にも影響を与えます。。私の腰も、都度ビリビリしておりました。。こいつを何とか治したい。。治さないとまともな生活ができない。。。椎間板ヘルニアとの戦いが始まりました。。ひどかったころのブログ懐かしいです。。マジメに痛かったんです。。
この痛み、病院の先生から、腰の骨の間の軟骨がすり減って、その影響で神経に当たって痛みを生じると聞かされました。無くなった軟骨が復元することは、手術でそれに代わるものを補強するか、金具を埋め込んで補助するしかないと聞かされておりました。手術については、いつでもやってくれるようでしたが、治るのは半分くらいの確率で、場合によっては悪くなる場合もあると聞かされていました。。これ以上痛みが続くようであれば、最終的には、そうしようかなぁと覚悟しておりましたが、悪化したら最悪だなぁと、モヤモヤしておりました。毎日繰り返される痛みにその解決策を模索しました。頼るものは、本しかありません。。
手あたり次第読んでみました。

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そして、少しでもこの痛みを軽減できればという思いで、出来そうなことをピックアップして、3年間以下のことを実践してみました。。
1.体重を落とすこと
2.腹筋、背筋をきたえること
3.痛い腰をねじること

まず体重。当時90キロくらいの肥満体質でした。この重みが腰に負担掛けていると仮定し、あった体重を70キロまで絞りました。方法は、毎日走りました。帯広の森のトレーニング室で、5キロ~8キロ、時間にして30分~1時間。同時に食生活も改善しました。甘いもの、間食は極力控えました。米を玄米にし、摂取カロリーを減らしました。そして夜の接待もでき得る限り最低限にしました。こんなことを続けながら20キロ減っておりました。

次に背筋、腹筋。この筋肉が弱くなると腰への負担が増えるということを知り、体重を絞った後に、走った後に筋トレを20分程度加えました。トレーニング室にある背筋と腹筋を強化できそうなマシーンを2台選び、それを続けました。

そして、腰をねじること。痛んでいるところは筋肉が固くなっていて、可動性が悪くなり、痛みを増幅させているということも知り、柔軟性をつけるために、相撲さんが良くする股割というストレッチングとゴルフを始めました。

過去のブログを見ると、スタート日は2012年6月22日でした。
ひとつ分かったことは、5年間続ければ、腰痛は完治するということ、それと、当たり前だと錯覚していた痛みのない生活が、どんなに素晴らしいか再認識しました。

腰痛については、少々うんちく語れますので、お悩みの方は、推奨する本、お教えいたします。。

東京でひと肌上げることを祈っております。。。

金子修さん。

平成16年、創業した時に、たまたま私の事務所の横で保険の代理店をしていたことがきっかけで、知り合った方です。私よりも年は10歳年上。東京出身。奥さんが帯広の方だったので、縁があって帯広に戻ってきたタイミングでした。

私も、北見から帯広に戻ってきたタイミングで、お互いにこれからというときに、同じビルの隣同士のめぐりあわせでした。共栄ビル。家賃が28,000円。私同様、金子さんも事務所家賃が安かったのでここへの入居でした。

私も金子も、従業員を雇う余裕はなかったので、暇なときはお互いの事務所を覗きあい、お互いいないときにお客さんが来たときはフォローしあう関係でした。事業を始めてから1年経ち、私の仕事の方が先に、人手が必要になってきたので、金子さんにお願いして、私の会社に加わってもらいました。昨日のような出来事のように記憶しておりますが、あれから13年の年月が過ぎました。

気が付けば、彼も59歳。髪の毛も随分白くなりました。

彼の人生の貴重な時間を、会社のために費やしていただき、感謝しております。
そんな彼から、生まれ育った東京に戻って、友人と不動産会社をスタートさせたいという相談がありました。

彼が望むなら、自分の信じる道を進むことに私の意見などありません。年齢を考えても頑張ってあと10年くらいでしょうか。。一度きりの人生なので、思い切りやったらいいというのが私の本音です。うまくいかなかったら、いつでも戻って来いよとは、今まさに事業を始める彼にいうのは失礼かなぁと思い、言葉にしておりませんが、不測の事態があった時には、彼から受けた13年間のお礼をしたく思っております。

13年間、一緒に働いてきた仲間が去っていく寂しさはありますが、東京でひと肌あげて、帯広に凱旋してほしいと願っております。
陰ながら応援しております。。

ホテル業

あまり公にはしておりませんでしたが、ホテルの経営に携わっておりました。

そう携わってから、丸4年が経ちました。

”帯広市内で売ってほしいホテルがある”そんな依頼があり、このホテルの買主を探すことが、今思えば、ホテル業界と深~くかかわるきっかけとなりました。

ホテルが不動産投資物件とみることはなかったのですが、ホテルを借り上げて運営してくれる会社の存在を知り、認識が変わりました。

ホテルは利用するものという固定観念が、不動産投資としてみると、実に、高利回りの投資対象に変わりました。ホテルを購入し、その不動産を運営会社に借り上げてもらい収入を得る。

ホテルの売買は、アパート1棟売りと同様、扱うことができる。。そんな認識のもと、このホテルを投資物件として、我々の取引のある方に買ってもらおうという考えになりました。

ちょっと、横道にそれますが。。。

ご存じのルートイン、東横イン、コンフォートホテル、スーパーホテルなどの全国展開しているホテルチェーン会社も、借上げ運営している会社で、ホテル建物自体の所有者は別の方になっているケースが多いことを知りました(直営で所有されているものも一部あるようですが、借上げして運営しているホテルも多いということでした)。

どうやったらあんなに沢山のホテルを所有できるんだろうか?と思ったこともありましたが、ホテルには投資物件として沢山の方が所有されているということで、謎が解けました。。。

そうそう、売却依頼を受けたホテル。より高く借り上げてくれる運営会社に目星がついたので、、投資物件として当社の取引のある賃貸オーナーに所有してもらいました。

運営会社の年間借上げ賃料は、毎月200万円。高利回りの不動産投資になりました。借入返済、固定資産税を払っても、毎月の手残りはかなりの額になります。

そんな机上の計算もスタートして4か月目で、狂い出しました。その運営会社の賃料の支払いが遅れだし、未払いが発生。そして、半年ごには、頓挫という事態になりました。

オーナーへは、我々から立替で送金しておりましたが、毎月200万円の立替も、あっという間に1,000万円近くのお金が会社から出ていきました。当時創業7年足らずの我々の会社に重い負担としてのしかかっておりました。。

”ヤバイ”

リスクに気づきます。リスクどころか、私の会社もとぶかもしれない。。。

時すでに遅し。。

”倒産”するかもしれない。。

まさかこんなことが起きるとは、想定外でした。

”はまったなぁ”

買って頂いたオーナーに迷惑を掛けることはできないなぁという気持ちと200万円の立替を何とかしなくてはならないという気持ちとで少々滅入っておりました。オーナーには、現状をお話しし、オーナーが毎月、持ち出しの出費がない最低限の補てんはしていくことを約束し、毎月の返済分と固定資産税分、合わせて130万円として、仕切り直しとなりました。このホテルの借り入れの返済が終わるまでの8年の約束。

”ホテルを回すしかない”と腹を決め、自分たちで運営することなりました。

やったことのないホテル運営。

お客様第一とか、世の中のためとか、そんな高貴な動機などまったくなく、ただ毎月130万円のお金のためだけの目的に始まりました。

幸い、破綻した運営会社で雇われていたホテルのフロントとベットメイクのスタッフは、そのまま残ってのリスタートとなりました。

そうはいっても、世の中そんなに甘くはありません。。

130万円の利益どころかさらに、毎月、200万円前後の持ち出しがでるという事態になりました。

12月、持ち出し。

1月、持ち出し。

2月、持ち出し。

”まじめにヤバい”

あぁ。。翌月越せるだろうか。。

立て替え分と、食い込み分で、追い込まれておりました。会社ってこんなふうに潰れていくのか。。。と諦めの境地で思いながら、ホテル経営に際して、次の策もなく、ストレス全開で時間だけが過ぎておりました。

そんなタイミングで、2月にフロント業務での使い込みが発覚。ダメなときは全てがダメなもんです。怒る気持ちにもなれず、解雇させるも、次のスタッフがなかなか求人してもこない。。

“窮すれば鈍する”

正常な判断。。できません。

そんな時、1本の電話がありました。

“社長、朴です”

そう、10か月前に私を訪ねてきれくれた人からです。話すと長くなるので、朴のことがわかる以前書いたブログリンクしときます。そんなつながりのある人です。そのブログに書かれているようにメールの連絡があった後、家族を連れて日本に移住を覚悟し、僕のところにあいさつに来られました。東京で韓国の銅管を流通させる仕事で独立されると自信に満ちた顔で再会となりました。10か月経ってどうなっているのかなぁと思っておりましたが、電話が来たので

“朴、銅管の仕事はうまくいっているのかい?”

“••••••••••”

うまくいっていない様子を察しました。

“朴、今、何の仕事して生き延びているんだい?”

“東京で運転手してる”

“そうか、食えてるんだったいいな”

“イケハラ、そうなんだけど••••”

家族には心配するので話していなかったようでしたが、知り合いの韓国人が経営するデリヘルの運転手をして、何とか生計を立てておりました。

そっちの運転手か。。。まぁ、そんな人のことを心配するほど、自分にも余裕はなかったのですが、私同様、厳しい状況でした。

“いつまでもこの仕事はしたくないなあ”という朴の嘆き。

人員不足で困っていた私。

渡りに船でしょうか。

”朴、一緒に働かないか”と私。

朴にはホテルの立て直しのこと、働くスタッフがいないということを話し、この事業の再生を手伝ってくれないかとお願いしてみました。

私は、自分本業の不動産に専念して、ホテルの経営を支えていく。朴はホテルの運営の再建していく。ホテルのことは、人事含め全て任せるということを約束し、仲間に加わりました。

きれいごとなどありません。

”全てはお金のために”

このホテル運営における我々の経営理念です。

朴は、粗削りにバッサバッサ、経費の削減行っていきました。スタッフの給料の減額、パート職員の方の労働時間短縮、取引業者への依頼する様々な単価見直し交渉、削れるところは削って、できる限り支出を抑える体制にしておりました。そうするしかなかったのが追い込みの入った我々の現状だったのかもしれません。

”全てはお金のために”

義理、人情など全くありません。

数か月後、毎月の持ち出しがなくなります。

V字回復。

かっこよく言うとこういうことになるのですが、強引に出ていく経費を最小限にした結果、そうなっただけでした。

漫画のような話ですが。。。そんなことがありました。

それから4年経ち、世の中の風向きも変わります。

現状のままでも、ホテルの経営がまわる状態の上に、いい風が吹き出します。

インバウンドで、訪日外国人の増加。我々のホテルにも外国人の利用が増え出します。団体の中国人の利用。海外から個人旅行の利用稼働率も年々上がりました。数年前の状況がうそのような状況となっております。

昨年、オーナーの事情などもありホテルを違う方に所有させ、その後自社での保有としました。

ホテル業界、全国的に活況です。帯広市内のビジネスホテルも、全てのホテルが高稼働しております。また、ホテルの売り買いも盛んです。帯広市内でも、この3年くらいの間に、少なくとも大きなホテル4つは売買されました。

そんな流れの中で、昨年、”ホテルを売ってほしい”。。そんな依頼がありました。

そのままでも、利益が上がる収益物件として回っていましたので、迷いましたが、本業の不動産業を強化しようと思い、ちょうど1年前、売却含め子会社にしているホテル運営会社の譲渡を検討しておりました(ちなみに、初期に食い込んだ運転資金の立替え、改装やテレビ、ウォシュレット、カーテンなどの入れ替え費用を差っ引くと、売却・譲渡により利益はありません。ただ会社が潰れることなくバトンをつなぐことが出来てホッとしております)。

それから1年。紆余曲折ありましたが、本日、子会社の譲渡契約を交わしました。このビジネスから離れる寂しさもありますが、私の役割もここまででしょうか。

朴との共同事業も、引き渡しまでまだ少しありますが終了となります。

朴も、新会社の社員となり、それぞれの門出となります。

掲げてきた2人の経営理念。『すべてはお金のために』も、残すところあとわずかで消滅となります。。

この薄っぺらい経営理念のもと頑張ってきましたが、皮肉にも、僕たちに残ったものは、お金ではなく、苦境を乗り越えたちっぽけな自信と、その中で経験させてもらった数々の思い出だったでしょうか。

私が携わった間、ホテルを支えて頂いた沢山のスタッフの皆様にも感謝しております。

また、お金を使い込んで解雇したスタッフ。家賃を踏み倒して行ったホテル運営会社。想定外の出来事に、我慢強さを教えられました。食い込んだ分は、未熟な我々には必要な授業料だったと思い、次なる山を目指します。

3月31日。

本日、ホテル経営からの卒業です。

自問自答

例年、春分の日前後はお部屋探しのピークになります。

営業サイドでは、去年と比較しての来店数や、売り上げ、空室状況などの変化などをみながら、今年の繁忙期の良し悪しを推し測っております。

今年の繁忙期。。。

アパマンショップ1店舗増店しての2店舗体制で臨んでおります。人員も補強しながらの繁忙期です。経費が増した分、売り上げ上げていきたいところですが、現実は甘くはありません。。

思い描く理想と現実のギャップを感じつつ、理想に向かって突き進めればと思っておりますす。

昨年の2倍の売り上げ目標。思い描く理想に問題があるでしょうか。現実のギャップが大きすぎるため自問自答しております。

 

つづき の話です。。

40人が共有されている土地。

そもそも、なぜそのようなことになったのか、所有されている方のひとりからお話を聞くことができました。

お話を聞かせてくれたのは、80歳くらいの老婆の方でした。

むかしむかし。。。という感じで話が始まりました。

この土地。その方が若かった頃、国が払い下げた土地(雑木林)だったとのことでした。当時、米は貴重?だったこともあり、この部落の住民が、みんなでお金を出し合って、米を作るために土地を購入されたそうです。だから40人の共有名義になっておりました。

そうだったのか。。。

当時、この漁師町の住民が、漁の合間にみんなでこの土地の木を伐採し、土地を整地し、開墾された話をされておりました。

大変でしたよ。。。と老婆の話は続きました。

その田んぼ、部落のみんなで米を収穫し、生計の一部に充てていたということでした。

それから半世紀。時代は変わります。片手間の米作りも生計を補うことにはならなくなり、いつしか、放置された荒地に変わり果ておりました。

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私たちがこの土地に、出会ったのは昨年の10月。そんな部落の方々の思い出がある土地。

この地に立ち、先人の方々の苦労を感じつつ、形を変えてまた日の目を浴びる土地に蘇らせるのは、私の使命でしょうか。。。

不動産という仕事冥利に尽きます。。

3分の1の生存者と、すでに亡くなっている3分の2の方たちの相続人の方たちとの接触、来週から始まりそうです。根気強く交渉する気持ちでおります。

ここで一句。

春風や闘志抱きて丘に立つ。

すいません。高浜虚子の句、パクリってしまいました。

田中社長、しばらく函館張り付きになると思いますが、ご家族のみなさんご協力の程よろしくお願いします。

恵山岬。。初訪問

地元では、風力発電用地の争奪戦に様相になってきました。数社、我々と同様に地主さん回りをしている業者もおります。

だいたい、ここはいいなぁという土地の地主さんのところには、”売ってくれないか”とた業者からも声を掛けられており、当然の如く、土地の値段が上がっていきます。

この風力発電の用地も、今回の売電の話がなければ、一生売れないんじゃないかと思うような崖っぷちで風の強い土地が、一変して、値段がついていくのは、ドラステックな感じがします。

家宝は寝て待て。

そうはそうなんですが、地主さんが永遠の眠りについていられる方も多く、登記上は相続せずにそのままの状態になっているところが大半でした。

登記上の所有者のところに行くと、廃屋になっていたり、空家になっていたり、違う人が住んでいたりと、そんな方が多いのは想定を超えておりました。

これが過疎地の実情でしょうか。

今日は、朝一便6時50分発、羽田発函館行の搭乗からスタートしました。函館空港でレンタカーをゲットし、本日向かうのは恵山岬のそばにある用地と、松前町にある用地です。

恵山。。えさんと呼びます。

皆さん行かれたことのある方はいるでしょうか?

道産子の私も、恵山岬は知りませんでした。

ここです↓

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ここに売りたい土地があるという地元の不動産業者さんからの紹介があり行って参りました。函館から車で30分。ここは来たことなかったなぁ。初訪問です。こんなところです。

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この山が恵山です。途中、登山口の看板があったので、上ることができる山のようでした。写真におさめませんでしたが、海が見下ろせる景勝地でした。

現地にて、函館の不動産会社の方と土地の確認をして、ここを購入することにしました。今年度の申請に間に合えばいいなぁと思っております。

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受験シーズン

2月もあっという間に月末になりました。色々な行事が重なり、1週間ほど帯広を離れていました。
ベット派ではない私にとって、ホテルの生活が続くと、自宅の布団が恋しくなります。
若いときはそのようなことを思うことはありませんでしたが、50才目前になるとそう思うのは、年をとってきた証拠かもしれません
せめて、気持ちだけは若い感性でいたいなぁと思いつつ、ホテルに宿泊されていた受験生をみながら、学ぶ姿勢は生涯持ち続けたく思うところでしょうか。

大連出張

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大連。

日本の仙台市の緯度位に位置する人口600万人の都市。

仕事仲間と2泊しておいりました。彼が大連に会社をつくるタイミングなので、一緒に行こうということになり、行って参りました。私のビジネスではないのですが、興味本位で同行させてもらいました。

大連で日本の塗料メーカーの代理店をする事業を始めるために、地元の方と合弁で開始するようで、一緒にされる地元の中国人の方も3日間一緒でした。私は、ほとんど観光気分でしたが。。。

一緒に組まれる中国人の”ろ”さんは日本に16年間、在住した経歴があり、日本語もペラペラでした。地元大連では、政治に携わる家系で、大手の建設関係にもコネがきくようで、人脈で塗料の販売は計算できるようでした。

地元の上場されている建設会社の社長さんとの打ち合わせにも、なぜが私も同席してしまい、彼らのやり取りを横で聞く機会に恵まれました。

ちなみに、”金三元”という会社で、証券番号は”831912”です。

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本当かなぁと思って、帰国して調べてみましたが実在しておりました。。そっか、あの社長さんが実業家か。。。ワイシャツのわきの部分も何故か破れていて、まったくそんなオーラは感じはしませんでしたが、案外ギラギラしていない方が大きく成功されている方が多いのは、日本でも同じでしょうか。。

そうそう、ろさんとその社長さんとのやり取りを横で見ておりましたが、早速、見積もりと塗料の支払い方法を決めているようで、華僑流の仕事は人脈でというのを肌で感じました。

仕事、早いです。

今春、人間ドック付の長期滞在の受け入れも進めているようで、10名ほど日本に行くという話になっており、スケジュールの打ち合わせしておりました。合弁する彼の会社が岡山なので、岡山の受け入れ病院や宿泊施設、滞在中に行く観光地などの確認も横で行ったおりました。

何故か私にも話がふられ、北海道なら人間ドックと合わせて2ヶ月間程の長期滞在できる宿泊施設を提案してほしいという話もされていたので、協力してくれる病院と宿泊施設を少し用意してみようかなぁと思っております。内風呂があればなおいいという希望ですが、どうでしょうか。。。

いずれにしても、一緒に連れて行ってくれた友達のつながりなので、その方にいい提案ができればと思っております。

大連。高いビル群、地下鉄も整備されている大都会でした。行ってみてイメージが360°変わりました。来てみないとわからないものです。写真アップしときます。

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観光はしませんでしたが、街を歩くだけでも刺激をうけました。今年、何回ここに来ることになるんだろうか。。。

成田から飛行時間が3時間。ソウルと同じくらいです。意外と近いです。この時期は、朝晩はマイナス数℃まで下がる気候です。結構肌寒く感じました。

何か仕事につながっていくようであれば、何度か行き来してみたい街です。。